Life never ever like before
結びつく筈のなかったもの同士が ふとした切っ掛けで結びついてしまうと
喜びを感じるように出来ている
何かに感動する時 どうして感動したかなんて いちいち考えたくないけれど
大抵の場合 目の前にあるもの そのものに感動しているのではなく
自分の中で何かと何かが結びついた その事に おおいに喜びを感じ感動しているものだ
だから どれだけ素晴らしいと評判のものに出会っても
自分の中の何かと結びつかなければ てんで面白くないし
逆に つまらない 興味がないと思っていたものが
突然とてつもなく素晴らしいものに変わる時だってある
当たり前の事だけれど 感動できるか出来ないかは
結局 その人自身に懸っている
今よりももっと多様に心を動かされたいと願うなら
とりあえず何でも体験して吸収して 自分の受け皿を増やしていったらいい
色んなデコやボコを用意しておけば 外から何かがやって来た時
思ってもみない組み合わせが自分の中で生まれるかもしれない
それはたいへんな喜びだ
世界の感じ方も少しずつ豊かになっていくかもしれない
ただ 世の中には そんな結びつきによる喜び 感動などを軽く飛び越える
有無を言わさず心を吹き飛ばしてしまう強烈な別の感動が存在する
自分に受け皿があろうがなかろうが おかまいなしに 嵐のごとく
自分を連れ去ってくれる体験がある
今まで固執してきた世界の感じ方が一気に変わってしまう様な
もしくは 果てしなく懐かしい様な
あるいは あの世に一歩踏み入れてしまったかの様な強烈な体験
それは必ずしも心地の良いものではなく 時には圧倒的な恐怖を伴って現れるもものだ
そんな体験がしたければ こちらは無防備でなければならない
計画したり 身構えていると そういうものは すっと前を通り過ぎ去ってしまう
だから そんな 自分が破壊されてしまう様な体験がしたければ
こちらはいつだって 全てを捨てる覚悟で 全てを受け入れる覚悟で
身も心も預けてしまわなければならない
結びつけによる感動が心や脳で起こるものなら
この圧倒的な感動は身体中のひとつひとつの細胞で起こっている気がする
細胞がうごめいているのが分かるのだ
そして そんな全身がビリビリ震える様な圧倒的な感動こそが
自分を奮い立たせ 辿り着きたいと願う何処かへと再び向かわせる
高木正勝 「うごめくもの」
喜びを感じるように出来ている
何かに感動する時 どうして感動したかなんて いちいち考えたくないけれど
大抵の場合 目の前にあるもの そのものに感動しているのではなく
自分の中で何かと何かが結びついた その事に おおいに喜びを感じ感動しているものだ
だから どれだけ素晴らしいと評判のものに出会っても
自分の中の何かと結びつかなければ てんで面白くないし
逆に つまらない 興味がないと思っていたものが
突然とてつもなく素晴らしいものに変わる時だってある
当たり前の事だけれど 感動できるか出来ないかは
結局 その人自身に懸っている
今よりももっと多様に心を動かされたいと願うなら
とりあえず何でも体験して吸収して 自分の受け皿を増やしていったらいい
色んなデコやボコを用意しておけば 外から何かがやって来た時
思ってもみない組み合わせが自分の中で生まれるかもしれない
それはたいへんな喜びだ
世界の感じ方も少しずつ豊かになっていくかもしれない
ただ 世の中には そんな結びつきによる喜び 感動などを軽く飛び越える
有無を言わさず心を吹き飛ばしてしまう強烈な別の感動が存在する
自分に受け皿があろうがなかろうが おかまいなしに 嵐のごとく
自分を連れ去ってくれる体験がある
今まで固執してきた世界の感じ方が一気に変わってしまう様な
もしくは 果てしなく懐かしい様な
あるいは あの世に一歩踏み入れてしまったかの様な強烈な体験
それは必ずしも心地の良いものではなく 時には圧倒的な恐怖を伴って現れるもものだ
そんな体験がしたければ こちらは無防備でなければならない
計画したり 身構えていると そういうものは すっと前を通り過ぎ去ってしまう
だから そんな 自分が破壊されてしまう様な体験がしたければ
こちらはいつだって 全てを捨てる覚悟で 全てを受け入れる覚悟で
身も心も預けてしまわなければならない
結びつけによる感動が心や脳で起こるものなら
この圧倒的な感動は身体中のひとつひとつの細胞で起こっている気がする
細胞がうごめいているのが分かるのだ
そして そんな全身がビリビリ震える様な圧倒的な感動こそが
自分を奮い立たせ 辿り着きたいと願う何処かへと再び向かわせる
高木正勝 「うごめくもの」
by sous_le_nez
| 2010-08-25 13:43
| 言葉